poppin 有平宇佐の短編小説

ここでしか読めない、有平宇佐書きおろし短編小説。
むにの描いたイラストにあて書きをしたもの。
サクッと読めるのでどうですか?
もちろんハピエンです。

poppin

 渋谷、宇田川町の横断歩道で信号待ちをしていたら、隣に立っていた同い年の男性が
「あの映画を観よう」
と道路の向こうの小さなチケット売り場を指さした。
 誰か連れの人に向かって話しているんだろう。俺は俺でスマホに指を滑らせ映画情報を漁っていたら、人差し指の先でとんとんと肩を叩かれた。
「あの映画、観よう」
「え? 俺っ?」
周囲を見回しながら素っ頓狂な声を上げるのを、とても冷ややかな目で見られて、俺は決まり悪く静かにした。
「僕の大学の先輩が監督をやってるんだ。低予算で、主役は顔も名前も知らないアイドルで、たぶんものすごくつまんない。著作権料も作曲料も払えないから、劇伴は著作権が切れたクラシックで、それもピアノソロ曲だけなんだって。そのピアニストの演奏料すらまだ半額しか払えてない」
「大丈夫なのか?」
「全然大丈夫じゃないよ。だからつまんなくても観なくちゃいけないんだ」
猫のように誇り高い瞳を上げて、青信号になると俺がついてくるのは当然って態度で歩き出し、俺が歩かなかったら慌てて駆け戻って来て俺の手を掴んでぐいぐい横断歩道を渡った。
「学生二枚」
勝手に学生証を見せながら言われたけど、俺はたまたま有給消化してただけで社員証しか持ってない。大人一枚を自分の金で買った。
 見上げたポスターは白く塗られた壁を背景に、ガラスのコップに活けられた赤いポピーの花が一輪、そこへ名前も知らないアイドルの横顔が薄くオーバーラップしているだけで、事前に懐事情を聞いてしまったからか、予算の少なさがひしひしと伝わってくる。
 狭いエレベーターで三階まで上がり、降りた先のロビーも狭かった。小さなカウンターでパンフレットとポップコーンとドリンクをまとめて売っている。
「ポップコーンは何味?」
 カウンターのメニューを見ながら俺に訊くから素直に答えた。
「キャラメル」
「塩バター味ください」
俺は自分の上瞼がつり上がるのを感じたが、別のスタッフから「ご注文は?」と訊かれてしまい、「コーラのMサイズください」と答えているうちに、バケツのようにでかいカップに山盛りのポップコーンが手渡されていた。
「そこに座ろう」
って、オレンジジュースとポップコーンで両手が塞がってる奴に顎で示され、素直に頷いて座る俺も俺だけど。
 暗くなって予告編が流れ、本編が始まった。
 どこか古いビルの一室。冷たく湿るコンクリートの部屋。床のタイルはところどころ欠けている。窓辺にはコップの挿した赤いポピーと、裾のほつれたレースのカーテン。病院を思わせる古い鉄製のベッドがひとつ。
 ポーンとピアノのA音が鳴り響くと、室内には二人の男女が現れる。
 女はボブカットで、ボートネックの白いワンピースを着ていて、向き合う男は緩やかな白いロングシャツとパンツを穿いている。
 大学の映画研究会が撮るような、ざらついた映像の中で、セリフはなく、役者は視線とバレエのような身体表現のみ、ピアノのシンプルな単音だけで感情は色付けされている。視点は一貫して乾いていて、しかしストーリーは陳腐なほどありきたりなラブロマンス。
 窓辺の赤いポピーがしおれるにつれて女はベッドに横たわり、男が服を着たまま身体を重ね、花弁がひとひら床に落ちて純潔を失ったことを示唆し、それが最初で最後の愛の交歓で、女の身体は衰えていく。
 映画の中で唯一のセリフは、女の白っぽくカサついた唇で
「さよなら」
静かに微かに重なるピアノ曲が喪失と悲哀を代弁する。床に散る赤いポピーの花びらが映る。
「うっ、うっ」
嗚咽まで漏れて、涙を流しながらそれでもポップコーンを食って、うええ、とえずいている。こいつは馬鹿なのだろうか。
 俺はハンカチを取り出し、ぐしゃぐしゃに濡れた頬をそっと拭きながら声を掛けた。

 

「泣きながら食べると喉につかえちゃうよ」
「うえっ……っえっ、だって悲しいんだもん。ふぇええっ……」
「泣くか、食べるか、どっちかにしようよ」
「どっちも」
俺は仕方なくポップコーンを取り上げてハンカチで顔を拭き、鼻もつまんで汁を絞り出して世話を焼いた。
 その間も奴はスクリーンを見続け、床に伏した男の身体が砂のように崩れる様に泣き、窓から吹き込む風に、散っているけしの花弁と渦巻くよう混ざりあい部屋の床の塵と化す様子にまた泣いている。
 そこへダメ押しのピアノ曲だった。
 泣いて乾いた喉に沁みる水のような音楽。キラキラした高音から低音へ陳腐と紙一重のドラマチックな演奏で、画面にはもう男も女もいなくてセリフもなく、ときおり風が吹き込んでカーテンが揺れ、床の上の萎れた花弁と砂が少し動くだけで、映画の結末はショパンの夜想曲のみに委ねられていた。
 並の感性しか持ち合わせていない俺も、その諸行無常感には涙を禁じ得ないはずだったが
「うえっ」
目を離した隙にまたポップコーンを食べてえずいていて、俺はポップコーンバケットを再び奪い、ハンカチで鼻をつまんで汁を絞り出した。
 タイトロープもシンプルで何の仕掛けもなく、ショパンのワルツが空気に溶けて、全体が暗闇に沈んでから、ゆっくりと明るくなった。
「ハンカチ、洗って返すね」
「あげる」
「ちょっと顔洗ってくる」
無防備にトートバッグを置き去りにしていなくなってしまい、俺は帰ることもできずに底のほうに残っていた湿気ったポップコーンをかみ切れず奥歯で潰して食べて、氷で薄まったコーラを飲み干した。
 清掃が始まって居心地が悪くなり、奴のトートバッグを肩から担いでロビーで待つと、洗ったハンカチを真四角に広げながら戻ってきた。
「今日は天気がいいから、少し持って歩けば乾くよ」
 俺にトートバッグを持たせたまま、自分は両手でハンカチを広げて持ち、映画館を出ると、そのままひらひら渋谷の街を歩く。
 ハンカチをはためかせ、コンテンポラリーダンスを踊るように歩く奴とあまり長い時間一緒に歩きたくはない。
 トートバッグさえ俺が預かってなければ、すぐに方向転換して離れるのに。いや、トートバッグはあの交番に落し物として預けて逃げるか。
 算段していると、急に腕を組まれた。
「逃げようとしてるでしょ?」
「うん」
「残念。これから僕たちは永遠の恋に落ちます。実は、すでに恋心は芽生えてる。だから連絡先の交換をするし、食事も一緒にして、それでも離れがたくて、円山町のラブホテルまで行っちゃう」
俺に持たせっぱなしのトートバッグへ手を突っ込んで自分のスマホを取り出し、俺のシャツの胸ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出す。
 俺の指を掴むと勝手に生体認証でロックを解除して、スマホ同士を振ってSNSのアカウントを登録した。
「トークグループも作っておこう。『ポップコーン探偵団』なんてかっこよくない?」
「あんまり」
「はい、できた。また映画も観に行こうね」
胸ポケットにスマホを戻され、相変わらずトートバッグを持たされたまま、ひらひらはためくハンカチを追って、渋谷に本店を構える大型ディスカウントショップへ足を踏み入れた。
 小さなビニールシートを一枚買うと、そのままエスカレーターを上がり、アダルトグッズコーナーののれんをくぐった。
「男同士はやっぱり必要だよね。ローションはこれがいいかな。ゴムはどれがいい? この新しいヤツ、気持ちいいんだって。試してみようよ」
 ポップキャンディーのようなコンドームをレジに差し出し会計を済ませ、買ったものは俺が担いでいるトートバッグに放り込むと、今度はコンビニで食べ物や飲み物を買って、閑静で緑豊かな庭園へ足を踏み入れた。
 湧水池の周りを歩き、遅れて咲いた八重桜の木陰にレジャーシートを敷く。
「♪ごーはんだ、ごはんーだ、さあ食べよー♪」
八重桜ははじけたポップコーンのように丸く咲き、花の重みで枝先が土に触れそうなほど下がっていて、その内側にレジャーシートを敷いた俺たちはポップコーンでできた鳥籠の中にいるような気分になった。
「いただきますのキス!」
両手で頬を挟まれて、唇が触れた。
 俺は小さくため息をつき、ツナマヨのおにぎりを食べた。
「相変わらずツナマヨのおにぎりが好きなんだね」
ジーンズを穿いた脚を抱え、その膝の上にこめかみを押し付けて俺の様子を観察する。
「別れた相手をナンパして、過去を思い出して何が楽しいの?」
「だって信号待ちで偶然の再会なんて、奇跡でしょ。同窓会も来ないしさ。嫌いで別れたって感じでもなかったし、いいかなって思ったんだけどー。あんぱん、パス!」
コンビニ袋の中から拾い上げたあんぱんを投げてやる。
「ねぇ僕たち、なんで別れたんだっけ。違う大学に行ったから?」
「そう、自然消滅。連絡しても返事を寄越さないから」
「あ、そっか。思い出した。若くてもクモ膜下出血って発症するから気をつけたほうがいいよ。本当に後頭部をフルスイングで殴られたみたいに痛い」
「え?」
「付き合ってますって誰にも言ってなかったから仕方ないんだけど、他大学に通ってる高校時代の同級生にまで気を利かせて連絡してくれる人はいなくてさー。そのまま音信不通になっちゃったのは残念だったよね」
「全っ然知らなかった」
「伝えてくれる人がいなかったんだから、しょうがない。でも今度はもう大人だから、自分の親兄弟くらいには、何かあったらコイツに連絡してって言うくらいの知恵はあるし、別れないよね。同棲して、お風呂でいちゃいちゃしながらエッチして、二人で座ったら肩がくっつくぐらいの小さ目のソファを買ってさ、その上でもしようよ。あ、台所で裸エプロンも! 駅前で待ち合わせしてサイゼリヤで晩ご飯食べて、一緒に帰って来てすぐ我慢できなくて玄関で靴も脱がずに始めちゃうのもいいなぁ」
「ふうん」
おむすびを三つ食べてミネラルウォーターを飲み、仰向けに倒れると、奴は当たり前のように隣に倒れて、俺の肩に頭を乗せる。その肩の骨と頭蓋骨の嵌り具合は変わってなくて心地よかった。
「最近、セックスしてる?」
「全然」
「僕も。人肌恋しい。セックスしたーい!」
「公共の場でそんなこと叫ぶなよ」
腕枕している手で口を塞ぐと、その手のひらを舐められた。そのまま口の中へ指を入れ、指先で舌をくすぐると、反対に指をしゃぶられて、さらに舌先で指の腹をくすぐられた。
 口の中で濡れた指を、奴のシャツの内側へ忍ばせる。小さな桜色の粒の在り処は、手が覚えていた。どう触ったら甘い声が聴けるのかも。
「んっ。気持ちいい」
奴は目を閉じ、指に向かって胸を突き出す。その積極的な反応も変わってない。
 初めは指の腹でそっと押しつぶすように。硬くなってきたら引っ掻くように、ギターの弦をはじくように。左右からつまんでねじって、俺の腰へ腰を擦り付けてくるようになったら、上下から潰すようにつまんで揺らす。
 身体が逃げないように脚を絡めて押さえ、頭をしっかり自分の顎の下に抱え込む。奴の声は切羽詰まって泣きそうに震えるけれど、そこで怯まず追い詰め、少し痛みを感じるくらいにキュッとつまむと、奴の身体はびくびく震えてから強張り、ふんわりと弛緩する。
 その一部始終を見ると、俺の胸の内には愛しさが込み上げてくるのも昔のままだ。しっかり抱きしめ、髪を撫でて、こめかみに唇を押しつけた。
「どうしよう、やっぱり大好き」
腕の中から聴こえる声と背中に回された手に、俺は頷いた。
「どうする、予定通りラブホテルに行く? それともラブホは省略して、今すぐ俺の部屋に来て同棲を始める?」
「もちろん同棲でしょ」
「ずっと離さないかも知れないけど、いい?」
「僕のほうこそ、離れないでくっついて歩くと思うけどいい?」
「いいよ」
 俺たちは互いに手を引っ張りあって立ち上がり、手をつないでポップコーンの鳥籠を出た。八重桜の外へ出ても俺たちの手は繋がっていて、渋谷の街を歩いても、電車に乗っても離れなくて、引っ越したばかりの少し贅沢だった2DKに入り込んだ。
 もう一度、新しい生活が始まる。
 それはきっとはじけるような。
<了> 
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